花の下、雨宿り

 


 北風と南風とが入れ替わるという大きな移り変わりなせいか、春先の天気候は変わりやすく、時には台風級の低気圧が東日本に居座っての真冬並みの天候にだってなる。
「ひゃあ〜〜〜っ。」
 結構な勢いで唐突に降り出した雨は、いかにも冷たい氷雨ではなかったものの、せっかくの外出に水を差す、野暮な代物には変わりなく。重そうな雲から降り落ちるその雨脚は、容赦のない加速を見せ、ジョギング用のコースに敷かれたカラー・アスファルトにあっと言う間に小川を作ったほど。何とかぎりぎり、濡れそぼる前に飛び込むことが出来たのは、形ばかりの屋根がある休憩用の四阿
あずまやで。周囲を埋め尽くすように降る雨に進退窮まって追い込まれた…と言った方が正しいのかも。公園内の屋外施設なため、屋根こそあるが四方が大きく開放されていて、空気の中に舞っている細かい水の分子が、あらわになっている頬や鼻先に触れてるようでくすぐったい。…なんてな呑気な想いに浸ってもおれず、
「…ごめんなさい。」
 不意に口を開いた小さな少年。
「こんな大雨になっちゃって。あのあの、進さん、寒くはないですか?」
 濡れて風邪でも拾われたらどうしようと思ってだろう、そんな言葉を口にした相手へ。いつもの心配性が始まったと溜息をつくでなし、だが柔らかく苦笑を見せるでもなく。
「………。」
 ただ、大きな手のひらがタオルごと、小さなお友達のふわふかな髪へと降りて来て。
「はやや…。/////////
 さして濡れてはいなかったが、撫でるついでか、それとも拭う素振りの方がついでか。もしゃりと、大まかに撫でて下さるのが、

  “…進さんて優しいんだ。/////////

 ごめんなさいと言ったばかりの恐縮を、すぐさま ふわりほわりと蕩かしてくれるほど。頬に隠し切れない温かい微笑が浮かんで来ちゃうほど。この人の温もりは身に馴染んで久しくて。武骨でいかにも男臭い所作なのに、視線を上げる瀬那の気配に気がつくと、少ぉし手を浮かせて顔を上げさせ、そうしてから“どうした?”と視線を落としてくれて。それへとゆっくりかぶりを振れば、
「…そうか。」
 短く応じてくれる。

  ――― あのあの、でもやっぱり、ごめんなさいです。
      何がだ?

 朝、雲が多いなあって気がついてたのに、天気予報でも晴れ切らないって言ってたのに。なのに。こうなるかもしれないと判っていたのに予定を変えようとはしなかったこと。それを、つい謝ってしまった相変わらずのセナくんへ、
「小早川が降らせた訳ではないだろう。」
 至極 当たり前のことを手短に、大真面目に言ってのけ。でもそれを、取り付く島もない素っ気なさだとセナが感じなかったのは、こちらを見やって下さる深色の眼差しが、それは和んで優しいものだったから。
「………。////////
 春休みの間のほんの数日ほど、U大の合宿所の筋トレルームにメンテナンスが入るのでと、自主トレモードに入った進さんからの連絡があって。合宿所のあるF学舎からは、ほんの数駅というご近所同士になっている今。その数日を、それじゃあ泥門駅のあの公園で走りましょうかと申し出て、久し振りのジョギングデートにあてていた、相変わらずの大小二人だったのだけれども。
“だ、大小二人ってのは何なんですよう。////////
 いや、体格が相変わらずに違うから。
(笑) セナの側も大学は春休みに入ってはいたが、アメフト部の活動がない訳ではなく。ただ、
“ホントは先日来から、新入生勧誘大作戦とかいうのを決行するって言われてたんですけれど。”
 合格発表からこっち、入学手続きだの説明会だのが集中する四月の頭までは、目ぼしい新入生にダイレクト・アタックだとばかり、部員たちへも役割分担を与えての、あの金髪の名将様による大作戦が敢行されてるらしかったが、
『お前は参加せんでいいから。』
 及び腰が直ってないセナは、参戦しても逆に別の部へ持ってかれたり騒ぎに巻き込まれたりしかねないからと。高校時代をそういう幕開けにして下さった張本人から言われていれば世話はなく。ともあれ、そんな“お墨付き”の下、こちらもこちらで ちゃっかりと、大好きな人との逢瀬に いそしんでいた韋駄天くんであり。

  「………。」

 深色の眼差しが雨脚へと逸れた隙をつき、ついつい声もなく見惚れるのは、威容さえまとったその風貌へ。巌のような屈強な身体をトレーナーの上下と、一応の防寒素材のウィンドブレーカーとで覆った姿は、それだのに精悍で頼もしく。隆と頼もしき屈強な体つきには、だが、これみよがしな“力コブ”をつけてはいない。そんな実用に即した体だからということと、切れのある所作や凛然とした表情・態度による、無駄のない動線の機能美が備わっての、体の内外双方からの充実が、彼をして存在感のある雄々しきアスリートとして際立たせており、
“昨日なんて、すれ違う人が殆ど視線を向けて来てたものねvv
 今日とは違ってそりゃあいいお天気だったから、そろそろ開花しつつある桜を観がてらに走ろうかという人が多くって。そんな方々と行き交うごとに、さわさわと視線の気配が来ること来ること。

  ――― ねえねえ、ほら。
       あ…。
       何かのプロ選手かしら。
       かっけぇな〜〜。
       おお。あのくらい鍛えてぇよなぁ。

 揺らぐことなき強靭な視線と、強い意志に引き締まった口許。真摯さを載せた無表情の凛々しさが、豪奢なまでに咲き誇る早咲きの山桜の並木よりも人の注目を奪っていたのが、伴走していたセナには我がことのように照れ臭かったほど。でも今日はさすがに園内にもあまり人の気配はなかったし、そこへのこの雨だから周囲は全くの無人。さあさあという雨脚の響きしか聞こえずで、
「……………。」
 会話が途切れて、それでもどうしてだろうか。場を繕わなきゃとか感じないし、浮足立ってのわたわたもしない。間近にある温かさ、存在感が、小さなセナを落ち着かせてくれている。雨音の囁きの間を縫うように届くのは、土が濡れての、上手に磨った墨みたいな匂い。せっかくの山桜も少し項垂れているみたいに見える。ソメイヨシノは向こうの通りだし、まだちらほらという咲きようで。今年は早めだとは聞いているが、それでも満開にはまだ間がありそうだった。
「………?」
 何か気配を察して仰向けば、それと同時に上がった進さんの手には白い花びらが指先に見えて。
「あ…。」
 セナのつむじにでも乗っていたのを、取って下さったのだろう。大雑把で乱暴でと、いつも周囲の方々から常套句のように言われてた人だけど。髪の一条も余計に摘まない、そんな気遣いの出来ること、桜庭さんとかご存じだろうか。ふと、そんな風に思っているセナの視線の先で、その花びらを見つめていた当の進さんはといえば、

  「…山桜、だったかな?」
  「はい。」

 ここに来るのは久し振りですのに、覚えてらしたんですね。そうそう、進さんのお家の近くにはすごく長い桜並木がありましたね。ほら、川の土手に沿ってるジョギングコースの。あの桜も壮観でしたよね。お花のついた枝の高さと厚さがあるって言うか、密度があるっていうか。見てるだけでそのまま吸い込まれそうになるような絶景でしたものね。まだどこか幼い響きの残る柔らかな声に、寡黙だからというよりも、一言だって聞き漏らすまいとしてのもの。ただただ黙って聞き入っていた進さんであったらしく。とはいえ、

  「…ホントは、今日は日延べした方がよかったかなって。」
  「???」

 雨催いなお天気で、降る確率の高さはわざわざ予報を見なくとも判ってたのにね。でもでも、どうしてもお会いしたかったし、それと…、
「それと…。」
 進さんが指先に乗っけたままだった、小さな山桜の花びらが。体温で乾いたか軽やかさを取り戻すと、四阿へと吹き込んだ風に震えて宙へと逃げて。それを“あ…っ”と視線で追えば、そんなセナの頬へ、温かな手がすべり込む。逃れた花びらと間違えたにしては目測を誤り過ぎな、そんな騎士様の手のひらはやはり温かで、

  「四月に入れば、桜どころではなくなるからな。」

 以前はね、四月に入ればも、桜も、頭になかったという自分だったのにね。無駄なものだと削ぎ落としてか、それとも最初から存在しなかったのか。暑いか寒いか、雨なら体を冷やさぬ装備をと、そんな把握と反応しか引っ張り出せなかった自分だったのにね。今では…ソメイヨシノは無理でも早先の山桜でいいから一緒に観たかったからだと、そうと思ったらしいこの子の想いも酌み取れる。そして、こんな自分の、言葉足らずな物言い1つで、

  「あ…。/////////

 桜より可憐な笑顔がやさしく花開くことが、自分にとってもそれは嬉しい目福であることをしみじみと噛みしめて。少しほど体温の上がった…かもしれない柔らかな頬へ添えたままだった手へ、それを引くのではなくお顔の方をそぉっと近づけて。

  ――― えと………。////////

 ちょっぴり身をかがめて下さっての、映画の一シーンのような優しいキスは、春の嵐と山桜しか見てない中だったのに、とってもとってもドキドキして。だからだから、あのね?////////
「…小早川?」
「〜〜〜。////////
 そのまま進さんの懐ろに伏せたお顔がなかなか上げられなかったのも、雨の中に隠しての秘密。掻い込むようにしてくれた大きな手が、ややあって…セナくんの小さな背中を撫でてくれたのへ。うっとりしながら、どちらのものだか判らない、ちょっぴり早い鼓動の響きを聞いていたのも、周りに咲いていた山桜へだけの秘密………。



  〜Fine〜  06.3.31.


  *春の荒ぶるお天気に、いいように振り回されておりますです。
   冬があんなだったんだから、早く暖かくなってほしいですよね。
   で、東京はもう七分咲きですって?
   いいなぁ、こっちはこれからです。

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